志村けん さんの残した言葉【バカ殿様】1950年2月20日~2020年3月29日

「お笑いって基本的にあったかいものだと思うんですよね。」


「(いかりやさんはどんな人だったか?)笑いという事は難しいけど、それに向かって一生懸命だったというのは分かりますね。」


「(お笑いを続けられる理由は?)人の笑顔とか好きなんでしょうね。」


「ドリフターズって言ったら家族みたいなもの。」


「仕事を楽しくするためには、男にしても女にしても好きな人が近くにいた方がいい。だから僕は自分が好きな人を、まずゲストに呼んだり、レギュラーに加えたりする。」


「僕は、女の子の出演者に対しては、早く打ちとけようと思って、スタジオでもすぐに胸やお尻をさわったりする。まわりに誰がいようが関係ないから、『なんだ、あいつは女のケツばっかさわりやがって』と思われてたかもしれないけど、現場がいつもワーキャー言ってるような雰囲気じゃないと、やってる方もなかなかコントを楽しめない。それと、いきなりケツをさわった時にどんな反応をするかというリアクションが気になる。」


「コントは、1人きりでやる落語とはちょっと違う。ドリフみたいにグループでいつも一緒にいる関係ならいいけど、僕と田代と桑野なんかの場合、毎日一緒にいるわけじゃない。せいぜい週に2日。それで当時は一緒にコントをやり始めたばかりだとなると、やっぱり一緒に飲みに行ったりしてワーワーやって、あうんの呼吸でコントをできるようにならないとダメだ。」


「グループの笑いというのは、全員の仲がよくないとうまくいかない。」


「自分自身の絶対条件がクリア出来れば、その他の項目には目をつぶる。人間の欲望や要求にはきりがない。「三割満足で十分」でいけば、世の中腹の立つことも少なくなるだろうし、けっこう丸く収まると思う。」


「『飽きられず、忘れられず』、これがキャラクター・ブランドを長期にわたって維持していくための戦略。」


「一番嫌いなのはおもしろいコントをダーッと並べられることだ。お笑いは並べる順番というか計算が大事だから、そこがわからない人に構成されると、逆に本当につまらないものになっちゃう。」


「ゲストがからむコントは、最初にシチュエーションを考えるのではなく、まず誰がゲストかを考え、この人ならこんなキャラクターということでコントをつくっていった。」


「誰もが思いつきそうなことを、人より鼻の差ぐらい先を見越して、現実化すればいいんだ。『鼻の差ぐらい』がポイント。それ以上先でも、それ以下でもダメ。」


「音楽をプラスすると笑いが強くなる。」


「おいしいところをゲストに。それは僕のいつもの考えだ。」


「僕は共演者に対しては、あまり演出とかはしない。本人に任せる。」


「今の若い芸人の番組なんかだと、最初のメインがなくて、遊びの部分ばかり多くてゲームになっている。本当は何をしたいのかが、どうもよくわからない。そもそも芯になる、やりたいものがないのか、15分とか20分の長くてしっかりとしたコントをつくるのが大変だから逃げているのか。そのあたりが、僕には不満なところだ。でも、そのつらいところをしっかりつくっておくと、ほかのコーナーが生きてくる。」


「お笑いには『三つオチ』といって、1、2、3でおとすという定石がある。コントでもなぜか3人目を笑わせなきゃいけない。」


「僕はコントを考える時、自分が見たり聞いたりしたものから発想する。」


「人を笑わせるのって、結局、間とタイミングだ。」


「笑いというのは、切羽詰まった時に生まれるものだ。」


「お笑いみたいなものでも、常識を知らないと本当のツボというものがわからない。常識は基本線で、お笑いはその常識という基本線をひっくり返すところで、コントとして成り立っている。だから、笑えるワケよ。お笑いに限らず、常識をバカにする奴に、常識を超えたことは絶対に出来ない。」


「テレビでも、あまりに普通の人が普通のことをやりすぎている。そんなのはおもしろくない。変わった人、珍しい人、平凡な人、少し狂気のようなものを感じる人。それを見たいから世間の人はテレビや舞台を見る。芸人はもともと変わってるんだ。僕たちはそれでいいんだ。」


「ただ脱げばいいというのではない。それじゃあ単に下品になって、つまらない。だから、裸にならなきゃいけない理由をはっきりさせるように心がけている。」


「『だいじょうぶだぁ』では1回の放送分で10くらいのコントをやってたけど、僕はこの人はこんなタイプ、この人はこんなタイプと、きちんとキャラクターの性格を決めていた。そうじゃないと、みんな一緒に見えてしまう。」


「らしく見せるコツは何か。僕の場合はその人を徹底的に好きになることだ。」


「やっぱり子供たちにバカだと思われているのはいい。お笑いをやってて、子供にまで『あれは芝居してるんだよ』なんて言われたら、みっともない。バカだと思われてるってことは、そう『見える』ってことだから、演じてる者にとっては一番うれしい誉め言葉だ。」


「本当に笑いをとるのはリアクションだ。」


「マネして出来なきゃ、それは才能がない証拠。」


「僕は芝居を『演じている』と見られるのが一番嫌いだ。オーバーな演技やクサい芝居をしていると『そんな奴はいねえだろ』となってしまう。『いるいる、こんな奴が』と思ってもらいたい。『らしく見える』のが一番大事だ。」


「なんでもそうだけど、ずっと続けているとうまくなる。うまくなると、またおもしろくなってきて、さらに一生懸命やろうという気になってくる。そうやって、一人前になっていくんだと思う。」


「よくマンネリと言われたけど、僕は笑いにはマンネリは絶対に必要だと思う。お客さんにすれば、『たぶんこうするよ、ほらやった』と自分も一緒になって喜ぶ笑いと、『意表を突かれた、そう来たか』とびっくりする笑いの2種類あると思う。全部意表を突かれてしまうと、お客さんも見ていて疲れてしまうだろう。」


「みんなと同じだったら、一番楽だろう。不安もなくなる。でも、その代わり個性もないってことになる。あいつは変わってる、と言われるのは光栄なことだ。1回きりしかない人生なんだから、自分の好きなように、自分に正直に生きようよ。」


「自分の一生なんだから、自分が好きなことを思い切りやればいいと思う。売れるか売れないか、先のことは誰にもわからないけど、自分が納得いくまでやれば、それでいいんじゃないか。」


「最初から全力でいかない奴は、その時点で先がない。」


「仕事に限らず何でもそうだけど、『おれ、頑張りました』ってところが見えてしまうようではまずい。頑張ったとか、努力したということを、ことさら強調する奴がいるけど、それって手品で、すぐさまタネあかしをしてしまうのと同じじゃないのか。いとも簡単にやっているようで、実はその裏で血のにじむような努力と完璧な準備があるからこそ、金を取れるモノになるわけなんだから。」


「なんの仕事にしてもそうだと思うけど、本当に嫌だったら辞めればいい。でも、辞めないってことは、自分が好きで選んだ道だということだし、やり遂げる責任も負うことになる。だから、少々嫌なことやつらいことがあっても、それは自分が我慢すればいいことじゃないかな。」


「半ズボンとかのままでコントをするのは、金をもらって人前で見せる芸じゃないだろうという気持ちになる。本人たちは、流行だからカッコイイと思ってるのかもしれないけど若い奴らにはそう見えても、大人の目には単にだらしない格好でしかない。誰が見てもわかるお笑いじゃないと思う。」


「テレビの仕事は、僕たちもスタッフも、手を抜こうと思えばいくらだって抜ける。でも1回手を抜いたら、つまらなくなってしまうのは目に見えている。だから、やっている間はとことんまでやるしかない。」


「いちばん頭のオレが当たり前のことをキチンとやることで、現場にいい意味での緊張感が生まれてくる。」


「今思うと、あのころの僕はただ無我夢中で、なんでも一生懸命やろうとして力が入り過ぎていたのだ。後になってわかったことだけど、本当はその逆で、楽しく遊んでるように見せるのがお客さんを笑わせるコツだ。『こいつら本当に楽しそうにやってるな』って思うから、お客さんは笑う。」


「ムダなことでもなんでも知ってた方がいい。知らないと損をすることはあっても、知ってて損することはないから。」


「テレビの世界はとにかく数をたくさんつくれないと役に立たない。」


「人になにかを伝えたいならウソをついちゃいけない。」


「何もしてない奴が『じゃあ、お前ちょっとやってみな』って言われることはあり得ない。ふだんから何かをやり続けているから、誰かの目にとまって声をかけられるんだ。」


「これからお笑いをめざそうとするのなら、なんでもそうだと思うけど、自分が好きでこの道だと決めた以上、あとはどん欲にやるしかない。この世界は、待ってても誰も来ないから。」


「オレはいつでも『個性は変人、常識は凡人』でいたいと思っている。」


「古今東西、いつの時代も、自分が楽しいと思わない仕事からよい結果は生まれない。」


「いろいんな人たちを遊びの場で見てきた。思うのは、人生は不公平だってこと。若いときからずっと恵まれている人もいる。急上昇して急降下する人もいる。人生の後半にピークを迎える人もいる。ずっと恵まれない人もいる。人生というゲームの勝ち負けに一定の法則がないことは、これを見ても明らかだろう。」


「私は、こう見えてもバカですょ。」


「ずっと恵まれてみえる人はみな必ず努力していることだ。例外なくね。」


「モテる秘訣は、子供の心に大人の財布。」


「『見たいけど、たまにしかやっていない』という、放送回数を腹八分目ぐらいの満腹感に抑えてきたこと。それがロングセラーになった要因だ。」


「夕方近くになっても宙ぶらりんという人は、能力や才能がないというより、自分自身を解放できず、気持ちが萎えてしまって、うまく出来ないでいることが多いと思うんだ。これまでつき合ってきた自分じゃうまくいかないなら、こころの中で『変なおじさん』にヘンシ~ンって掛け声をかけてみたらいい。臆することなく思いきって、やれる。」


「大丈夫だぁ~。」


「だっふんだ!」


「客席の千何百人が一斉にドカーンって笑ってるのを舞台の上で見るのって、とてつもない快感なんです。パワーをあげてると同時にもらってるというか。ちょっとした快感じゃなくて、ものすごい快感。そのために、裏で苦労して考えて考えてより面白いことを追求することができるんだと思います。」


「オレは偉大なるマンネリ=スタンダード・ナンバーだと考える。」


「分かる人には、演者が馬鹿で無い事くらいわかる。むしろ利口ぶったり、文化人ぶったりするようになったら、芸人としておしまい。」


「アイーン!」


「マンネリで大いに結構。ほかの人はマンネリまでいかないじゃないですか。定番があるのは全然恥ずかしいことじゃない。ドリフも僕のバカ殿も変なおじさんも、必死でネタ作って、とことん何年もやり続けてきたわけだから。みんなマンネリの域まで達してみろって。」


「そんな根性で入ってないですもん、この道。」


「『お金は利を得るために使うもの』という意識をいつも持っている。」


「オレなんか変なおじさんしかなくて、これでずっとやってるよ。」


「何よりお笑いには音楽性がすごく大事。お笑いは間とタイミングで決まるものなんだけど、そのセンスはまさに音楽的センスであり、リズム感なんだよね。コントの会話のリズムも、それを少し狂わすからおもしろいのに、もともとのリズムがわかっていないと、狂わすこともできないわけだから。」


「オナラは万国共通のギャグだと思ってる。」


「ベンチひとつで何ができるか、といったシンプルな笑いの基本に返るのが大事。」


「非常識なことをするためには、まず常識を知らなきゃいけないんだよ。」


「気取らないこと。とにかく飾らない。自分を大きく見せようとする段階で人はうそをつくし、それはすぐに見破られるものですよ。」


「えらい人のせき払いが『だっふんだぁ』って聞こえたのが、すごく耳に残ってた。」


「原点に返る。」


「たとえば、舞台であるセリフを間違える。お客さんは自分が観た回だけ間違えたと思う。でも、実は毎回わざと間違えているわけです。アドリブっぽく見せるのもひとつの芸なんです。」


「みんなの笑顔が見たいから。」


日本のコメディアン、お笑いタレント、司会者である。ザ・ドリフターズのメンバー。イザワオフィス所属。1972年までの旧芸名および中国語での表記は「志村 健」。本名は志村 康徳。

コメント

このブログの人気の投稿

花の慶次の名言

レミー・キルミスターさんの残した言葉【モーターヘッド】1945年12月24日~2015年12月28日