遠藤周作さんの残した言葉【狐狸庵先生】1923年3月27日~1996年9月29日
「人間にはこの世に生きていくためには、他人に対する『けじめ』がある。」
「自分の考えだけが何時も正しいと信じている者、自分の思想や行動が決して間違っていないと信じている者、そしてそのために周りへの影響や迷惑に気づかぬ者、そのために他人を不幸にしているのに一向に無頓着な者――それを善魔という。」
「仕事とは誇りだ。誇りを失って儲けるのは己の仕事への尊重を失うことだ。」
「戦後の日本人はいつの間にか、働くことと利を得ることを一緒にして利を得るためにだけ働くようになった。利がすべての目的に変わった。利のためにほかのものを多少は犠牲にしていいという風潮が社会を支配した。」
「どんな母親でもわが子が悪いとは決して考えない。わが子を悪くしたのは別の人間のせいだと必死で思おうとする。」
「不幸や苦痛はそれがどんな種類であれ、人間に孤独感を同時に与えるものだ。」
「手を握られた者は自分の苦しみや痛みがこのつなぎ合わされた手を通して、相手に伝わっていくのを感じる。だれかが、自分の苦しみや痛みをわかち持とうとするのを感じる。」
「拷問はそれ自身よりも、それを待っている時のほうが辛い。」
「人生はどんな外形をとっても本質は同じものなのである。」
「自分の一番愛しているもの、自分が一番うつくしいものを汚すことに悦びを感ずるものはいない。悦びがあったとしてもそれは倒錯的な悦びである。」
「人間の野心はあさましい。野心は人間をあさましくする。」
「野望を達成するためには男は手をよごさねばらならぬ、時にはおのれのどうにもならぬ優しさを殺さねばならぬ。」
「人間の醜悪な欲望は尽きることがない。」
「人間、好奇心がなくなったらおしまいだ。」
「人は人の前を横切らずには生きていけない。」
「人間にとって一番辛いものは貧しさや病気ではなく、それら貧しさや病気が生む孤独と絶望のほうだ。」
「小説家とは、絶えず自分を揺さぶりつつ書いていくものである。」
「私が茶道で一番心を惹かれたのは『沈黙の声』を聴くということだ。」
「信仰は競馬によく似ていると思うことがあります。ビギナーはよく穴を当てます。ところが馬のことを勉強し始めたら、当たらなくなります。」
「私は、死というのは、この世界から新しい生命に入る通過儀礼だというふうに思っています。通過儀礼ですから、それは試練であり、そして恐怖があり、苦しみが伴うのだと思います。」
「愛の第1原則は『捨てぬこと』です。人生が愉快で楽しいなら、人生には愛はいりません。人生が辛く、みにくいからこそ、人生を捨てずにこれを生きようとするのが人生への愛です。だから自殺は愛の欠如だと言えます。」
「生活と人生とは違う。」
「神とは背中をそっと押してくれるような働きである。」
「誰かを愛するということは、その人を『信じよう』とする意志にほかならない。もしくは信じる賭けをなすことにほかならない。」
「人間らしく生きるために七分は真面目人間、三分は不真面目人間で生活するのが『生きる智恵』と言うべきであろう。」
「自分が弱虫であり、その弱さは芯の芯まで自分に付きまとっているのだ、という事実を認めることから、他人を見、社会を見、文学を読み、人生を考えることができる。」
「人間生活にはムダなものがかなりあるが、そのムダなもののために情緒が生まれ、うるおいができ、人の心がなごむようなものがある。」
「苦しいのは誰からも愛されぬことに耐えることよ。」
「病気はたしかに生活上の挫折であり失敗である。しかしそれは必ずしも人生上の挫折とは言えないのだ。」
「人生におけるすべての人間関係と同じように、我々は自分が選んだ者によって苦しまされたり、相手との対立で自分を少しずつ発見していくものだ。」
「本で読むことと、それを生きることは別です。」
「神はその人の信仰が魂の奥に根をおろすまで、陽にさらし雨をそそぎ、さまざまな人生過程をあたえられる。」
「人生の出来事の意味はその死の日まで誰にもわからない。」
「歯車であることは自分の意志を棄てることである。」
「権力は肉体を奪えても自由は奪えない。」
「いかなる場合でも弱い人間は自己弁解をする。」
「恨みと哀しみとは往々にして復讐の気持に変るものだ。」
「一度、神とまじわった者は、神から逃げることはできぬ。」
「一人の人間の人生には決定的な転換が与えられる時期と、瞬間がある。それはある者には緩慢に訪れるが、別の者には突如としてやってくるのだ。」
「人間にはどうしても動かせない運命というものがある。その運命の支配する限り、どんなに努力しても仕方がない。」
「人間には、どんなに努力しても成ることと成らぬことがある。」
「人間には神の定めた運命があって、その運命にいくら抗っても無意味だということもわかった。」
「神は人それぞれに十字架を背負わせたもうのだ。」
「心をつくし神を信心すること肝要にござ候。この世にては、よろず変転きわまりなく、止まるものはひとつもなきものと存じ候ゆえ。」
「人間には生まれつき心の強いもの、勇気のあるものと、臆病で不器用なものとの二種類がある。」
「孤独なんて気障な言葉は、大袈裟な連中だけが頭の良い所をみせるために深刻そうに呟くためのものだと思っていた。」
「もともと怠け者の身には学問なども身につかない、人を押しのけてまで上に出ようという気力もない、毎日、毎日が平穏、無事で暮らせればそういう人生が自分にふさわしい。」
「人を殺すことは自分が死ぬと同じほどの恐怖感がある。」
「敵も味方も自分らが正しいと思えばこそ戦が起るのだ。」
「運命なんて、努力次第で変えられるんですよ。」
「苦しんでいる患者の身になってやるのが本当の医者というもんだ。」
「病人の気持、その家族の気持がわからぬようなら、どんな医学者でも医者じゃあない。」
「薬は学問の神聖のためにあるんじゃない。病人たちの苦しみを救い、病人たちの苦しみに少しでも希望を与えるために存在するんです。」
「我々がいつまでたってもウロウロしているのは、チャンスがないためではなく、チャンスをうまく生かさぬためだろう。」
「人間がもし孤独を楽しむ演技をしなければ、率直におのれの内面と向き合うならば、その心は必ず、ある存在を求めているのだ。愛に絶望した人間は愛を裏切らぬ存在を求め、自分の悲しみを理解してくれることに望みを失った者は、真の理解者を心のどこかで探しているのだ。」
「人間の一生には一度はまたとない好機が来る。」
「いまの若い世代にもっとも欠けているのは「屈辱感に耐える」訓練である。この訓練が行われないで、そのまま社会から大人扱いにされると、おのれのすること、なすことはすべて正しいと思うようになる。」
「一人の人間にはその運命と人生とを決するようなときが生涯、一度は必ずあるものであり、それを乗り切った瞬間、彼の未来は全面的に変わるものだ。」
「情熱を持続するには危険が必要なんだ。ちょうど恋愛の情熱がさめるのは安定した時であるのと同じように、人生の情熱が色あせるのも危険が失せた時だよ。革命はまだ危険という油を俺たちの情熱にそそいでくれる。」
「恋愛は『くるたのしい』ものである。『くるたのしい』とは苦しく、かつ、楽しいを略した私の新造語だが。」
「魅力あるもの、キレイな花に心を惹かれるのは、誰でもできる。だけど、色あせたものを捨てないのは努力がいる。色のあせるとき、本当の愛情が生まれる。」
「作家になりたかったら、毎日三時間、十年間書き続けていればなれる。」
「踏むがいい。お前の足の痛さをこの私が一番よく知っている。踏むがいい。私はお前たちに踏まれるため、この世に生れ、お前たちの痛さを分つため十字架を背負ったのだ。」
「黄昏の砂漠は歩きづらいが、振り返ると波打ちぎわに自分の足跡が、自分だけの足跡が、一つ一つ残っている。アスファルトの道は歩きやすいが、そこに足跡など残りはしない。」
「生活と人生はちがいます。生活でものを言うのは社会に同調するためのマスクです。また社会的な道徳です。しかし人生ではこのマスクで抑えつけたものが中心となるのです。」
「どうせ人生の本質は辛く、人間は孤独なぐらい百も承知している。だからそれだけ余計に明るく楽しく振舞おうという決心を、私はこの十年間に持ち続け更にその気持ちを強くしている。」
「人間はみんなが、美しくて強い存在だとは限らないよ。生まれつき臆病な人もいる。弱い性格の者もいる。メソメソした心の持ち主もいる…けれどもね、そんな弱い、臆病な男が自分の弱さを背負いながら、一生懸命美しく生きようとするのは立派だよ。」
日本の小説家。随筆や文芸評論や戯曲も手がけた。
1955年半ばに発表した小説「白い人」が芥川賞を受賞し、小説家として脚光を浴びた。第三の新人の一人。キリスト教を主題にした作品を多く執筆し、代表作に『海と毒薬』『沈黙』『侍』『深い河』などがある。1960年代初頭に大病を患い、その療養のため町田市玉川学園に転居してからは「狐狸庵山人(こりあんさんじん)」の雅号を名乗り、ぐうたらを軸にしたユーモアに富むエッセイも多く手掛けた。
無類の悪戯好きとしても知られ、全員素人による劇団「樹座」や素人囲碁集団「宇宙棋院」など作家活動以外のユニークな活動を行う一方で、数々の大病の体験を基にした「心あたたかな病院を願う」キャンペーンや日本キリスト教芸術センターを立ち上げるなどの社会的な活動も数多く行った。
『沈黙』をはじめとする多くの作品は、欧米で翻訳され高い評価を受けた。グレアム・グリーンの熱烈な支持が知られ、ノーベル文学賞候補と目されたが、『沈黙』のテーマ・結論が選考委員の一部に嫌われ、『スキャンダル』がポルノ扱いされたことがダメ押しとなり、受賞を逃したと言われる。
狐狸庵先生などと称される愉快で小仙人的な世間一般の持つ印象とは異なり、実物の遠藤周作は、おしゃれで痩身長躯すらりとした体つきの作家であり、豪放磊落開放的な態度で一般とも接するのを常としていた。
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