大林宣彦さんの残した言葉【時をかける少女】1938年1月9日~2020年4月10日

「政治家も経済家も、芸術家のように生きてほしい。それこそが、痛みを知っている敗戦国民の生き方だろうと思う。」


「未来に向って飛び出す勇気と知恵が何処から来るかというと、未来と同じくらい長く、深い過去の歴史から学ぶことで湧き出てくるものです。」


「映画というのはそうだなあ、「傷つきあって、許し合って、愛を覚える。」というのが、あらゆる映画のテーマでしょうかね。」


「良い映画というのは正直に一生懸命自分が信じることを描くだけ。」


「文化とは、言ってみれば「故郷自慢」であり、「スローライフ」であり、さらに言えば「温故知新」である。」


「芸術はジャーナリズムだと僕は思ってるんですね。優れたジャーナリズム。平和に向かうジャーナリズムだと思うんです。」


「ジャーナリズムとはまさに庶民1人1人が語るもの。民主主義の多数決なんかじゃありません。」


「みんな考え方が違い、自分と考えが違う人をいかに愛するかが芸術の本質。」


「黒澤(明)や小津(安二郎)の続きをやったら、お前達大監督だぜ。」そういうと彼らは黒澤や小津をようやく見始めるんですよ。それが伝統というのの大事なところでね。」


「競争社会の中にある限りは、突き詰めると戦争になっちゃう。」


「マイナスで考えたらマイナスのことばっかりですよ。予定通りに行くことなんて何にもない。」


「抱負というのを持ったことがない。」


「今の時代の危険は、全てが他人事になってしまったこと。」


「心とは物語のようなものです。つまり、喜怒哀楽も、喜・怒・哀・楽がそれぞれ一つひとつの独立したものだと情報ですが、これが循環し出すと物語になります。」


「僕は死と言うのはいまだにわからないです。でも少なくとも、その瞬間まで映画を撮っていようとは決めています。」


「映画というのはね、ハッピーエンドなんですよね。これは、僕は映画が生んだ素晴らしいフィロソフィーだと思う。」


「表現者というのは、チャーミングな常識人であるべきだと僕は思っています。」


「戦争という犯罪に立ち向かうには、戦争という凶器に立ち向かうには、正義なんかでは追いつきません。人間の正気です。正しい気持ち。人間が本来自由に平和で健やかで、愛するものとともに自分の人生を歩みたいということがちゃんと守れることが正気の世界です。」


「僕は芸術家だから芸術の話をしますと、芸術というものはやはり役割があってね、政治や経済でできないことができる。」


「同じ映画なのにアメリカで観るのと日本で観るのとでは全く違う。」


「みんなで芝生に裸で寝そべって青い空見つめてそれで幸せだったら、何も暗闇に入って映画なぞ見るものはいない。」


「僕は小説も漫画も書きたいし、なんでもやりたい人間。」


「文明はいつも“より早く、より新しく、より高く、より効率よく”僕たちの手足に代わって、便利で快適な暮しを作ってくれる。これは素晴らしい道具です。」


「元々何かを見ることよりも作ることへの興味が強い。」


「モノを作るということは、手本を作ることだと思う。」


「命が命を食べ合って生きているのが、人間だから自然界だから。」


「人間の言葉には文明を生むだけではない、別の能力もある。言葉、そして言語能力、その思考の中にはちゃんと本能的な抑止力があります。 それがまさに文化。」


「平和とは戦争がないことですが、どう考えても戦争はなくならないでしょう。今の社会、つまりリアリズムの世界で戦争がない平和を願うことは、「ファンタジー」です。」


「命というのは人間だけだと思うんだけど、世界中みんな命じゃないかと。」


「映画はもっと広くて深くて俺の分からない映画があるはず。」


「70年代いっぱいまでは、青春も含め僕にとってのアメリカは表現者として一番「近い」国だった。」


「20世紀が終わった今、僕たちの科学文明は伸び過ぎた牙、とがり過ぎたツメ、生えすぎた毛皮になって、とんでもなく“へんちくりんな生き物”になってしまったのではないでしょうか?。」


「(ガンを患って以降)地球のためにどう優しくすればいいかっていうことを考えて生きようと、自然にそう思えてきてね。そうするとありがたいことに、全てのものが命に見えるんですよ。」


「生きるってことは、僕は映画を作って生きてきたわけだから、じゃあ俺が作ってきた映画もそういうものだろうと。過去をとやかく言ってもしょうがないから、これから作る映画を処女作として作るつもりで、画学生や、恋人や子供に遺書を残した戦没者のように、自分も1本映画を撮ろうと思った時にあったのが『その日のまえに』だった。」


「映画を撮るということは発明なんです。」


「60歳になったときは、映画の先輩といえば小津安二郎さん、こどもの頃から愛してきたちょっと兄貴分の手塚治虫さんもみんなちょうど60歳で死んでいるんです。だから怖かったです。」


「俺はそういう商業主義の映画は作らないぞ、歴史に残る、アートとしての映画を作るんだ、てところが僕の刺激になっている。」


「僕は商業映画の会社の仕事らしい仕事を一度もやったことがない人間です。」


「戦争とは、人が人であること、人の人生、命、全てを失ってしまう。」


「文学と映像とではメディアが全く違うわけです。言語世界をそのまま引き写すのでは全く面白くもなんともない。」


「小説を映画にすることはリスクはいっぱい背負うわけだけど、今で言う“オンリーワン”ですよね。それぞれの違いをどこかで確認しながら見る、ということが物を鑑賞するということの一種の知的な楽しみ。」


「映画は日本では、文化というよりはまだまだ芸能界の消耗品みたいなところがある。」


「(自身の映画は)世の中の映画の通念とはずいぶん違うことをやっている。」


「21世紀は、発展、開発という力学に追いかけられてきた20世紀の価値観から脱却し、もう一度僕たちの原点を見つめ直す、“日本人としての約束”を思い出す時期に向っているのではないかと思っています。」


「僕は小説を映画にすることが多いですけど、映画にしたい小説には決まりごとがあります。それは、、映像が決して浮かばない小説であることです。」


「(ガンを患って以降のインタビュー)楽観的な人に薬がより効くんですって。」


「僕自身としては、極めて古典的に映画を作っているつもり。」


「黒澤(明)さんは自分の自由と、自由な表現と闘いながら闘いながらすぐれた映画を残していらっしゃった。」


日本の映画監督。勲等は旭日小綬章。倉敷芸術科学大学客員教授、長岡造形大学造形学部客員教授、尚美学園大学名誉教授、文化功労者。
広島県尾道市東土堂町生まれ。尾道市立土堂小学校、尾道北高校卒業、成城大学文芸学部中退。2006年(平成18年)4月から尚美学園大学大学院芸術情報学部情報表現学科名誉教授。2007年(平成19年)4月から倉敷芸術科学大学芸術学部メディア映像学科客員教授。2014年(平成26年)4月から長岡造形大学客員教授。

妻は映画プロデューサーの大林恭子。長女の千茱萸は「映画感想家」と称して執筆活動をする一方で映画製作にも参加しており、その夫は漫画家の森泉岳土。劇作家・演出家の平田オリザは甥にあたる。

自主製作映画の先駆者として、CMディレクターとして、映画監督として、日本の映像史を最先端で切り拓いた"映像の魔術師"。

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