レス・ポールさんの残した言葉【ギブソン・レスポールの生みの親】1915年6月9日~2009年8月12日
「成功する秘訣は、今より少しだけ上を目指すこと。これを続けることだね。」
アメリカのギタリストでかつ発明家。ソリッドボディーのエレクトリック・ギター、「ギブソン・レスポール」の生みの親である。 「ローリング・ストーンの選ぶ歴史上最も偉大な100人のギタリスト」において2003年は第46位、2011年の改訂版では第18位。
ポールは8歳のときに初めて音楽に関心を持ち、ハーモニカの演奏を始める。バンジョーを習った後、ギターを弾き始める。エディ・ラングやジャンゴ・ラインハルトなどに影響を受け、13歳までにカントリーミュージックのセミプロ・ギタリストとして演奏活動を行っていた。17歳の時にルーブ・トロンソンのテキサス・カウボーイズと共に活動し、間もなく高校を落第する。彼はミズーリ州セントルイスのラジオ局 KMOX のバンド、ウォルバートンズ・レディオ・バンドに加入した。
サニー・ジョー&ルバーブレッド(当時のレス・ポールのステージ名)のコンビを1930年代初期に結成。シカゴ中心に人気を得る。1933年に解散。
この頃昼はルバーブ・レッドとしてラジオショーなどに出演、夜は本名でジャズグループに参加していた。
1936年、ジム・アトキンスとアーニー・ニュートンとトリオを組み初めてのレコードをリリース。
1941年、レス・ポールは新しいエレキギター「ログ(角材の意)」を作成した。このギターは4x4の角材の両端にサウンドホールを持ったボディ材を留め、ネックを角材に取り付けたもので、今で言うセンターブロックを持ったギターである。ソリッドボディのエレキギターの原型とも言える代物である。他にもヘッドのないアルミニウムボディの「ヘッドレスワンダー」を開発している。
1946年、ログのアイディアをギブソン社に持ち込んだが一蹴される。この頃自宅に録音スタジオを建設し様々な発明をする。レコードのカッティングマシーンを自作したり、多重録音を可能にしたり、アナログディレイマシンの原型などである。これらの施設は当時最先端の技術を擁していた。
1948年、世界初のオーバーダビングレコーディングで作られた「Lover/Brazil」をリリース。1月26日に交通事故であわや右腕を切断かという大怪我を負うが、1年のリハビリ生活の後奇跡的に復帰(リハビリ中にもリード・パートを除いた全てをレコーディングしリリースするという離れ業を見せている)。
1949年、12月、メリー・フォードと3度目の結婚をする。Les Paul & Mary Ford At HomeというTVショーは7年も続いた。
1951年、メリー・フォードとのデュオ「How High the Moon」が全米1位を獲得。
1952年、ギブソン社初のソリッドギターレスポールが発売される。アンペックスからレスが開発した世界初の8トラック・テープレコーダーが発売される。
1953年、「Vaya Con Dios」が世界的にヒット。9週連続でチャートトップを記録する。しかし50年代半ばからロックン・ロールが爆発的に普及し徐々に人気を失う。
1962年、ギブソン社との契約が切れる。人気の低迷と共にメリー・フォードとの仲も上手くいかなくなりやがて離婚する。
1970年、友人の悪戯により耳の鼓膜が破れ、治療に3年を要する。
1974年、現役復帰。
1976年、チェット・アトキンスと作成した『チェスター&レスター』で1977年グラミー賞を受賞。
1980年代半ばから90年代まで、ニューヨークのファット・チューズデイというクラブでトリオを率いて毎週演奏した。
2005年、6月9日に90歳を迎えたレスを祝しレス・ポール&フレンズ名義のアルバム『レス・ポール・トリビュート』が作成される。参加メンバーは、エリック・クラプトン、ジェフ・ベック、ジョー・ペリー、ビリー・ギボンズ、ピーター・フランプトン、スティーヴ・ルカサー、キース・リチャーズ、スティング、リッチー・サンボラ、リック・デリンジャー等々。
2007年、レスポールの経歴を描くドキュメンタリー映画「レス・ポールの伝説」が2007年7月11日に公開される。(米) (日本での公開は、2008年8月23日)
2009年8月12日、肺炎によりニューヨークの病院にて94歳で死去。
コメント