L・M・モンゴメリさんの残した言葉【赤毛のアン】1874年11月30日~1942年4月24日
「Isn’t it splendid to think of all the things there are to find out about? It just makes me feel glad to be alive; it’s such an interesting world. It wouldn’t be half so interesting if we knew all about everything, would it? There’d be no scope for imagination . . .」
(知りたいことがいっぱいあるって、すてきだと思わない? 生きていることがうれしくなっちゃう ― こんなにおもしろい世界に生きてるんですもの。なにからなにまですっかりわかっていたら、半分もおもしろくないでしょう。想像の広がる余地が、全然なくなっちゃうもの)
「私はここで生きることに最善をつくすわ。そうすれば、いつかきっと最大の収穫が自分にかえってくると思うの。」
「こんな日に生きていられて、よかったと思わない?まだ生まれていなくて今日という日を知らない人って気の毒ね。」
「なにかを待つって、その楽しさの半分にあたるわ。」
「一生懸命やって、勝つことの次にいいことは、一生懸命やって負けること。」
「私の未来はまっすぐな一本道のように目の前に伸びていたの。人生の節目節目となるような出来事も道に沿って一里塚のように見渡せたわ。でも、今曲がり角に来たのよ。曲がった向こうに何があるか分からないけど、きっと素晴らしい世界があるって信じているわ。」
「どうせ空想するなら思いきり素晴らしい想像にした方がいいでしょう?」
「人生は広くもなれば狭くもなる。それは、人生から何を得るかではなく、人生に何をそそぎ込むかにかかっている。」
「足し算や引き算じゃあるまいし血と肉でできてる人間は算術のようにゃいかないものさ。」
「決めたということは行動するということ。」
「この世の中に、こんなに好きなものが、たくさんあるってすてきじゃない?」
「まだまだ発見することがたくさんあるって、すてきだと思わない?もし、何もかも知っている事ばかりだったら面白さが半分になっちゃうわ。」
「なんて素晴らしい日でしょう。こんな日に生きているというだけで、しあわせじゃないこと?こんなに面白い世の中に生きているのに、いつまでも悲しんでなんかいられないわ。」
「夜が明けると朝がいちばんすてきだと思うんだけど、日が暮れると夕方のほうがきれいに思えるの。」
「自分の失敗を笑い、そしてそこより学べ。自分の苦労を笑い草にしつつ、それから勇気をかきあつめよ。」
カナダの小説家である。『赤毛のアン』の作者であり、本作を第一作とする連作シリーズ「アン・ブックス」で良く知られている。
島にあるさまざまな学校で教師を務めたあと、1898年に祖父を亡くし、未亡人となった祖母と暮らすためにキャベンディッシュに戻った。祖父は地元の郵便局長も務めていたため、死後その仕事をモンゴメリが引き継いだ。1901年と1902年の短期間、ハリファックスで新聞社のデイリー・エコー社に記者兼雑用係として勤め、1902年に祖母の世話をするため、再びキャベンディッシュに戻った。ちょうどこの頃、すでに雑誌向けの短編作家としてキャリアを積んでいた彼女は、最初の長編を書く気になったという。気難しい祖母との辛い暮らしの中、相談相手となってくれた長老派教会牧師ユーアン・マクドナルドと1906年に婚約。1908年最初の長編小説『赤毛のアン』を出版し、世界的ベストセラーとなる大成功を収める。ユーアン・マクドナルドとは祖母が亡くなった直後、モンゴメリ36歳の1911年7月11日に結婚し、英国・スコットランドへの新婚旅行の後、オンタリオ州リースクデールに移り住んだ。
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