アダム・スミスさんの残した言葉【道徳感情論】1723年6月5日~1790年7月17日

「The real tragedy of the poor is the poverty of their aspirations.」

(貧しさの真の悲劇は、希望を持つことが出来ないことだ。)


「人間とは取り引きをする動物なり。犬は骨を交換せず。」


「労働の賃金は勤勉への奨励であって、勤勉とは他のすべての人間の資質のように、それが受ける奨励に比例して進歩するのである。」


「利己心の発揮は見えざる手を通じて社会の利益を増大させる。」


「我々が食事をできるのは、肉屋や酒屋やパン屋の主人が博愛心を発揮するからではなく、自分の利益を追求するからである。」


「いやしくても大財産があれば、必ず大不幸がある。ひとりの富者があるためには、五百名の貧者がなくてはならない。」


「社会の利益を増進しようと思い込んでいる場合よりも、自分自身の利益を追求する方が、はるかに有効に社会の利益を増進することがしばしばある。」


「群衆の一員でいることは、まったく気楽なことだ。」


「大同のそばでひなたぼっこをしている乞食の有する安心感は、もろもろの王様が欲しても得られないものである。」


「最小の努力をもって最大の欲望を満たすことが人間の経済行為の基礎原理である。」


「最大の使用価値を持つものでも、ほとんど交換価値を持たないことも多く、反対に最高の交換価値を持つものでもほとんど使用価値のないものもある。」


「最小の労力をもって最大の欲望を満たすことが、人間の経済行為の基礎原理である。」


「我々が夕食を食べられるのは、肉屋や酒屋、パン屋の慈悲によってではない。各々が自らの利益を追求した結果なのだ。」


「多くの場合、個人の利益の追求こそが社会を豊かにするのだ。それは豊かな社会を目的とするよりもずっと効果的だ。私は公益のために商売をなした者が成果を上げた例を知らない。」


「消費はすべての生産の唯一の目標であり目的であって、生産者の利益は、それが消費者の利益を促進するのに必要である限りでのみ留意されるべきである。この命題は完全に自明であり、それを証明しようと試みるのはばかげているだろう。ところが重商主義では、消費者の利益はほとんど常に生産者の利益の犠牲にされており、消費でなく生産がすべての産業や商業の究極的な目標であり、目的だと考えているように思われる。」


「人は自分自身の安全と利益だけを求めようとする。この利益は、例えば『莫大な利益を生み出し得る品物を生産する』といった形で事業を運営することにより、得られるものである。そして人がこのような行動を意図するのは、他の多くの事例同様、人が全く意図していなかった目的を達成させようとする見えざる手によって導かれた結果なのである」


「価値という言葉は二通りの異なった意味を持つ。ある時は、特定の物の実用性を表し、またある時はその物の所有権が譲渡されることによって生ずる購買力を示す。第一のそれは『使用価値』第二のそれは『交換価値』と表現してよいだろう。最大の使用価値を持つものでも、ほとんど交換価値を持たないことも多く、反対に最高の交換価値を持つものでもほとんど使用価値のない物もある。」


「犯罪者とは、略奪の本能を持ちながらも自治を獲得するほどの富を持たなかった者のことだ。ほとんどの統治は金持ちによる金持ちのための統治である。古代であれ現代であれ、大部分の組織的な不公正は統治者によって行われている。程度の差こそあれ、民政は富の保障のために生まれており、それは現実には貧乏人から金持ちを守るために生まれた。多くの財産を持つ者を、財産を持たぬ者から守るために生まれたのだ。」


「社会に属する人々の大部分が貧しく不幸であれば、その社会が幸福で繁栄した社会となることは決してない。」


「国民の富とはその国民の年々の労働の生産物であり,これを改善する最大の要因は分業である。」


「どんな種類の変更も改良も望まないほど完全に自分の境遇に満足しきっていることは、おそらくただの一例もないだろう。」


「利己心の発揮は見えざる手を通じて社会の利益を増大させる。」


「倫理観が欠如すると資本主義は暴走する。」


「物乞い以外に同胞の慈悲に頼ろうとする者はいない。」


「多額の資産があるところには、必ず大きな不平等がある。一人の大資産家に対して500人の貧困者がいる。少数の富は多くの貧困を想起させる。」


「国家は光り輝く金属の蓄積によって豊かになるのではない、そんなのは子供じみている。国家が豊かになるのはその国民の経済的な繁栄によってなのだ。」


「利己心に勝る鞭はない。」


「荷物担ぎと哲学者は、もともとは番犬と猟犬ほどにも違わない。両者の間に深淵を開いたのは『分業』である。」


「労働の賃金は勤勉への奨励であって、勤勉とは他のすべての人間の資質のように、それが受ける報奨に比例して改善する。」


「自らよりも他人により感じ入り、利己心を抑えることは、自らの慈悲を発動させることであり、人類の理想を実現することである。」


「犯罪者への慈悲は、罪のない人々への無慈悲である。」


「あなたは最初に自分自身について知らなければならない。自分自身について知っている者は、自分の殻を破ることができるし、自らの態度を傍観者のように観察できる。」


「群衆の一員でいることは、まったく気楽なことだ。」


「世の中のために働いていると言っている人間で、本当に世の中のために働いている人間を見たことはない。」


「社会の利益を増進しようとする場合よりも、自分自身の利益を追求する方が、はるかに有効に社会の利益を増進することがしばしばある。」


「権力者、富裕層への称賛や崇拝、貧困者、困窮者への軽蔑や無関心は、我々の道徳の退廃の最大にして共通の原因だ。」


「人々の懐から金を吸い取るのは、政府が最も早く取り組むことだ。」


「科学は熱狂や迷信の毒に対する素晴らしい解毒剤である。」


「国家を最低の野蛮状態から最高の富裕に導くには、平和と軽い税金と、正義の寛大な執行の他に不可欠なものはほとんどない。」


「水ほど役に立つものはないが、水ではなにも買えない。反対にダイヤモンドはなんの使用価値も持たないが、交換すると相当な量のものを手に入れることができる。」


「健康であり、負債を持たず、清廉な心があれば、幸福のためにそれ以上求めるものがあろうか?」


「個人の野心は公共の福祉に資する。」


「人間は仕事がないと、健康を損なうばかりでなく精神的にも退廃する。」


「あらゆるものの真価は、それを獲得するための苦労と困難である。」


「集まってひなたぼっこをしている乞食の有する安心感は、もろもろの王様が欲しても得られないものである。」


「全ての金銭は信念に起因する。」


「教育の偉大なところは、社会的に妥当とされていることに対して不毛さを感じさせることだ。」


「常に快活であることほど優美なことはない。」


「懐疑論という道を進むためには、曖昧さの谷を通り抜けねばならない。」


「女性が競うのはいつも男性についてだ。」


「同業者同士は歓楽や気晴らしのためでも会合を持つことはほとんどない。しかし、ひとたび会合を持てば、その会話から社会に対しての陰謀、値上げの企みがもたらされる。」


「金持ちの持つ強欲さや野心、貧困層の持つ労働の忌避や当面の安楽を好む気持ちは、資産の略奪を促進する。それらの感情は略奪を決心させ、社会全体に広める。」


「人類は取引を行う動物だ。ほかのどの動物も取引を行わない。犬同士が骨を交換することはない。」


「慈善は婦人の徳、寛大は男子の徳。」


「一人の人間が有するあらゆる能力が、他人が有する類似の能力を判定する際の尺度である。」


「人間社会のすべての構成員は、相互の援助が不可欠であるし、また同様に、相互に不当な扱いを受ける危険にもさらされている。」


「人間を社会に参加させよ。そうすれば、人間はそれまでもっていなかった鏡をただちに提供されることになる。」


「人間本性が持つ利己的で本源的な激情には、我々自身のごく小さな利益の喪失や獲得がきわめて重要なものに見える。それは、我々が特別な関係を全く持たない他の人々の最大の関心事よりも、ずっと激しい歓びや悲しみ、ずっと多くの熱烈な願望や嫌悪を掻き立てる。」


「もっとも完全な徳の保有者、つまり、我々が生まれつきもっとも愛し、崇敬する人物とは、他者の元来の気質と、同情的な気持ちの両方に対するもっとも繊細な感覚を、自分自身の本来的な利己的な気持ちに対する、もっとも完全な抑制力に結びつける人物のことである。」


イギリスの哲学者、倫理学者、経済学者である。スコットランド生まれ。主著に倫理学書『道徳感情論』と経済学書『国富論』がある。
生涯に『道徳感情論』と『国富論』という2冊しか書物を遺していないが、『国富論』が経済学に属する本であるのに対して『道徳感情論』は倫理学に関する本とされる。

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