フランシス・チャンさんの残した言葉【クレイジーラブ】1967年8月31日~

「Our greatest fear should not be of failure… but of succeeding at things in life that don’t really matter.」

(私たちの最大の恐れは失敗にではなく、人生において本当はどうでもいい事柄の成功にあるべきだ。)

「なまぬるい人々は、御国での永遠のいのちよりもこの世でのいのちをもっと重んじます。」


「なまぬるい人々は、天国における永遠よりも地上の生活についてより頻繁に考える。」


「なまぬるい人々は、彼ら自身の罪から本当に救われたいのではなく、ただ彼らの罪の罰から救われたいだけです。」


「どのような状況であれ、その状況にずっといることはありません。なぜなら、この世のすべては去っていくものだからです。」


「神と人を愛することがすべて。他は何も残らない。」


「あなたは神を熱愛してますか? それとも彼の物だけ?」


「私たちは愛するためにここにいる。そのほかのことはそれほど重要ではない。」


「祈りは愛する人のしるし。イエスを愛する人はどうしても頻繁に祈らずにはいられない。」


「私の結論はこうです。イエスが私たちに求めている関係は明確で、0か100かです。自らを”クリスチャン”と名乗りつつ、熱心にキリストに従わないなど、辻褄が合わないのです。」


「私たちの生活が不信者に対してうなずけるものとなるとき、何かがおかしい。」


「年を重ねれば重ねるほど私には終わりが近いことがわかる。私が教会において欲することを気にしている時間などない。他の人たちが教会において探し求めることを心配している時間などない。私はもうすぐ彼(イエス)に対面する。だから私は彼の願いに集中し続けなければならない。」


「クレイジーな人生とは、神がいつ自分の命を取ってもおかしくないと知りながら、安全な生活を好み、富をたくわえ、そうして地上での自分の時間を楽しむ人生のことです。私にとっては、これこそクレイジーです。神が存在しないかのような人生を歩む人こそクレイジーです。」


「祈りは愛する人のしるし。イエスを愛する人はどうしても頻繁に祈らずにはいられない。」


「私たちの生活が不信者に対してうなずけるものとなるとき、何かがおかしい。」


「おびただしい数の男女が何の犠牲も払わずにクリスチャンになれると教えられている。」


「私たちの多くは、神との関係は現状で十分だと信じており、神は生活のあらゆるものの一部でしかないのです。私たちの多くは、お金をどれほど稼ぎ、どこの学校に入学し、憧れの身体を手に入れ、だれと結婚し、どのような人となるのか、といったことを考えるほうに夢中です。しかし、神との親しさよりも重要なことは何一つあってはいけません。神との関係は永遠で、何にも代え難いものです。神は、私たちの人生の付属品ではないのです。」


「私の結論はこうです。イエスが私たちに求めている関係は明確で、0か100かです。自らを”クリスチャン”と名乗りつつ、熱心にキリストに従わないなど、辻褄が合わないのです。」


「もし、ある男性が私の娘とデートをしたいと申し出て、それなのにガソリン代や食事代は高すぎるので出したくないと言ったならば、私は彼が本当に娘を愛しているかどうかを疑います。同じように、神のために何かをするのにためらっている多くの教会出席者たちのことも、本当に神を愛しているのかを疑います。」


アメリカ合衆国におけるキリスト教プロテスタント福音派の牧師、著作家、説教者。カリフォルニア州シミバレーにおいて1994年に自身が創設したコーナーストーン・コミュニティ教会の元牧師。

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